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思い出や葬儀の様子とか色々

2016/3/21はサムズバイク25周年。そして今日3/20は初七日

なので、思い出だったり、14-15日の葬儀の様子だったりを書いてます。

ぶっちゃけ、なんかイマイチな気分です。落ち込んでる訳でもないと思うんだけど、なんか楽しいことあっても気持ちが入らないって言うか。こう今まで10だったところが7とかくらいで留まる感じ...
やっぱりそんな簡単に切り替わらないなって思ってます。

思い出す順に書いているので話の時期が飛び飛びですし、すごい長いですし読みにくいですが、気が向いたら読んでみて下さい。

2016年3月13日16:20
MTB&BMXPROSHOP「サムズバイク」店長 松浦修さんが旅立ちました。

その日は朝から支笏湖丸駒温泉に向かっていました。
道中はroom36の前を通るんですよね。必ず「店長居ないかな?」ってチェックします。
「そろそろ行きたいね」なんて話をしながら通り過ぎるのが日常でした。丸駒温泉後は何となく千歳まわりで、いつもは用事無くとも帰り道にサムズに寄りますが、その日は何だか36号線の渋滞がひどく、高速で帰っちゃいました…

翌朝、友人から信じられないメッセージが。ビックリしすぎて冷静な自分。
メッセージをくれ動揺していた彼女には「とにかく今は他に迷惑をかけないように日常を過ごして泣くなら明日(通夜)だ」と。そう言う自分も何だか解からないけど、とにかく出社し上司に「明日明後日休みを下さい」と。

その間もSNSでTLが流れていく。
翌日、通夜の日。18:00からと言う事で自分が書いた「他に迷惑をかけないよう」午前だけでも仕事に行きお昼に帰宅。すぐにも駆けつけたかったけど、迷惑かも…と迷っていた中、妻が「行きたいなら行こう」と言ってくれたおかげで決心がつきました。
間に合いました。店長に会えました。ホントだったのを確認しちゃいました。そこでトマック係(葬儀場に運ぶだけ)を頼まれたので、店長が家を後にするのを見送ってから会場へ。
まだ16:00前。
まだ悲しみは込み上げて来ないのか受け入れてないのか分からないけど変なテンションで遺影をバックにトマックを撮ったり。なんだか不謹慎にも久しぶりに会えるであろう方々へのワクワクも胸に。
ナミさん登場。「お弁当あるから食べておいで」
いやいや、そう言うのって親族が食べるやつだからっても「いいから」って言われてなんだか甘える。美味しかった丸元の仕出し弁当。思わず完食

==ちょっと脱線==どこかで何回か書いています。
サムズバイクがオープンしたのは1991年3月21日。
その少し前、オレは小学生時代の恩師とたまに遊ぶ仲でした。
そんなある日恩師が「MTBって知ってるか?」と。
オレ:「知ってるも何も買おうと思って雑誌読んでるよ」
(当時は離れたところを走っているMTBの色形で車種と値段が分かるほど)
「今度、オレの友達が店を開くんだ」
それがキッカケ。

そうしてオープン時のサムズバイクに連れて行ってもらったのが店長との出会いでした。
初めて見たサムズバイクはオレにアメリカを感じさせました。MTB=アメリカ なんとなくアメリカに憧れを感じていたオレには最高の場所でした。パーツを手にとって見られるのも楽しい。
当時店長は「防犯上は好ましくないけど、お客さんに楽しんで貰いたいから」と言っていました。
そんなガキだったオレはただ、その雰囲気に居たくて毎週末通いました。カウンターでゲームをして、組立整備をする店長を観察してて儲けにならない客でした。
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初めてのmongooseIBOCは「記念だから特別に差額でパーツ替えてあげるよ」と言われたので何週かかけて予算と相談しながら、あーでもないこーでもないってやってたので、結局納車は5月3日になってました。
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:納車前は地下鉄で、納車後は自走で15㎞程の片道。

開店前に友人にも紹介して何人かでMTBを買いました。
:社会人になった時は後輩がオレのmongooseみて「MTB欲しいです」って言うので新入社員が入る度にサムズ連れて行ってましたね。この頃から非公式営業を名乗る様になります。

ニセコだったかな?レース観戦にも連れて行ってもらいました。まさか帰り道にあんな事件が起きるとは…

==さらに脱線(あんな事件)==
友人2人と共にレース観戦に連れて行ってもらった帰り道で暗い砂利道(工事中)で視界の悪い中 前を走るサムズトラックが路肩に吸い込まれる。
:当時 サムズのデカいデカールを貼ってある軽トラックがありました。
〇〇ヤさんが疲れから居眠りをしレースで転倒して頭を打っていて、朦朧とし(一人で乗車)落っこちたのでした。駆けつけるオレ達に最初に行った言葉は「みんなで持ち上げたら大丈夫です(うつろ)」いやいやダイジョブじゃないからと突っ込みを入れたかどうかは覚えていませんが、関係者も通りまくるその道で路肩に落ちているサムズバイクを大きく主張した軽トラ。。
店長に言われたかも記憶にありませんが一生懸命デカールを爪で剥がしたのでした。

ねー。その時にねー。〇〇ヤさんを気に入っていた◯◯ウさんがねー。病院での付添を買って出てねー。
通夜の席で確認したらちゃんと奥さんになっていました。。
どうだったんでしょうね?その時まだシ〇ヤさんは気が付いてなかったのでしょうかね?
ガキだったオレが〇〇ウさんの気持ち知っていたくらいだからわかっていたのかな?
いや、実はオレがその時がキッカケって思っているだけで、すでに付き合っていたのかな?

◯◯ヤさん本人に確認したら、知り合ったキッカケでした。。名前すら間違えてた。
で、その時聞いた続き。
病院で一泊した〇〇ヤさんを早朝迎えに行ったのは店長のお父さん(札幌からニセコの方まで車で)
病院の支払いも済ませ、そのまま店長の実家(現サムズバイク社屋が出来上がる前)で1週間。
ひとり暮らしだった〇〇ヤさんの面倒を見てくれたそうです。

そのお父さんがサムズバイク開店時に近所にビラ配りをして行きつけの飲み屋にチラシを貼ったのが
そこの常連だった〇〇ヤさんがサムズバイクに出会うキッカケだったとか。
〇〇ヤさんが現奥さまと結婚できたのも、サムズバイクのおかげですね。良い話です。。


このまま脱線続けます。
18歳になり免許を取り、車(アルトワークスの四駆)を買ってもらった1週間後
第一回豊富自転車祭りに連れて行かれました。もちろん初の遠乗り。。
この時がオレの初レースになります。
でも競技志向じゃないオレは父に買って貰ったカメラを持ってヒルクライムレース登っていましたね。途中で景色撮ったりして。。そしてダウンヒル(これに出る為にどうせ登るからってヒルクライムも出た)ですよ。
駆け抜けるフルリジットのmongooseIBOC。脱線して芝生に飲み込まれるオレ。
愉しかったですけど、レースはそれ以来です。凄かったなダートブロス。。

(時は前後しますけど、これは高校時)次に買ったのはBULLYのBMX。
色んなビデオを見せてくれた中に出ていたBULLYに憧れ「買おう」と思ってアルバイトし出しました。初めは赤のつもりだったけど、サムズの在庫は青でそれもカッコいいと思ってたら売れちゃって、次はウグイスだったけど売れちゃって、お金貯まった頃は在庫なし。縁あってCPのBULLYがやってきました。
このBULLY、実はハンドメイドが過ぎて前△とリア△がまっすぐじゃないんですよね。
乗るのには支障ないけど。で、チェーンがステーの内側に擦っていたんです。
異音も出なかったので(さすがの店長も気が付いておらず)、ちょっと経ってから自分で気が付いたんですけど(数mm削れている)、「あー」って思っただけで自分で薄いナット入れて当らない様にしました。
これは店長には言ってないんで、もしもこれを読んだらビックリしているかな?けど、もう20年経っているので時効ですね。。

その後、スクーター(キックボードの大きいやつ)だったり、スノースクートだったりサムズバイクにあるものは色々手を出しましたけど、どれも中途半端でしたね。
自転車が好きってよりサムズバイクが好きみたいで、行きたいだけ。なので当時はTシャツとかも結構おいていたんですが行くたびに買っていました。いまだに普段着がTシャツとジーンズだけってのもサムズバイクのせいだと思っています。結構、店長とお揃いの(特にジャンパーが多い)持っているし。

正直、自転車業界って厳しそうだし それでなくとも他の店と毛色の違う店だから「いつか潰れるんじゃないか?」って思っていた時期もありました。特にバブル崩壊時。
「金持ちより真剣に乗ってる奴等が来てる店の方がこういった時強い」って言っていたし。
でも、店長は新しい遊びの提案をする事にかけては凄かったので、ここまでやってきたんでしょうね。FATBIKEなんて自転車から遠のいていたオレの今の愉しみのすべてです。


オレのサムズバイクへのスタンス。「店と客」
これはオープン時からなぜか自分に課していました。ちょっと店長には近寄りがたい。
店長や他のお客さんが真剣に愉しんでいるのに、中途半端な自分に負い目でもあったのかな?
ホントは羨ましかったんですよね、他の常連さんの店と客以上の関係。でもなんか行けなかったな。
長居しても閉店時間になる前には帰るようにしていたし、食事も誘ってくれるのに遠慮してましたね。
まだまだ店長と遊ぶ機会はあると思ってたし...
:FATBIKEに乗り出してからは結構積極参加になりました。

※実はブログにハッキリ「サムズバイク」って書くのも初めてだと思います。
 オレのやってる事=サムズバイクの客ってのが良い事ならいいけど、悪く取られてレッテルになるのも嫌だったので意識して書かないようにしています。オレ案外世の中に気を使って生きてますよ。。

オレ、数字は覚えない脳みそらしいのですが、電話番号で記憶できているのは3つ。
①実家
②自分のスマホ
③サムズバイク
だけ。最近やっと会社の番号もうろ覚えで言えるようになりました。
今でも2年経った新居の住所はうろ覚えです。
けど、サムズバイクは25年の中で5回もかけたか覚えてない位使わないのに忘れません。
今となってはナミさんにメッセージするので余計使わないのに忘れません。

そう言えば、先日の機種変更で電話帳データを全部すっ飛ばしたので店長の番号はわからなくなったままだ…かけた事ないけど。

==============
今回の葬儀は図々しくさせて貰いました。
通夜も、告別式も火葬場も、初七日と四十九日の繰り上げ法要も全部参加。
もう弁当も頂いちゃったし、通夜振る舞いも頂いちゃって、その際に「火葬場へ行きますか?」って係の人が聞いて回ってたので「もちろん」って言ってバスまで乗っちゃいました。
まずかったかなぁ?って思ったけど、最初で最後のわがままだなって思って開き直りました。。

葬儀だって下手に親族の葬式よりも真剣です。いつもなら長いなぁって飽きてくるのに全部一瞬で終わる。
ずっと座っててもケツも痛くならないし。悲しいけど、涙はそんなに出てなかったのに普段じゃ泣かないんだろうなぁって方々の男泣きを見ちゃうと貰いまくりでしたよね。あと、都度店長を見た時。「あぁやっぱりホントだなぁ」ってしみじみ思っちゃうと泣けてくる。あとナミさんの挨拶が。

===また脱線===
ホントにサムズバイクの客になって良かったです。
と言うか他のお店に興味ないのは25年前からずっとなので知らないだけですけど。
サムズバイクが好きなのでサムズバイクに置いていないブランドに興味なかった。
サムズバイクで見たマットホフマンとデイブミラは知っているけど、サガン?アームストロング?誰って感じ。
最近は友人が他店舗のスタッフになったのでそちらにも顔出すようになりました。
買うのは電アシとかのサムズバイクに無いものだけど。

そんなサムズバイクで扱ったもBIKEの中でもオレの最たるものはFATBIKEですね。
客になってから25年って言っても全然行かなかった時期もありました。スノーボードで骨折した時。
普通に滑るのはカナリ上手になってスピードとターンだったら誰にも負けないぞってくらいの勢いだった時、オーンズのテーブルトップに行きました。
中級者ぽい人が軽くターンしてスピード調整をして飛んでるのに、バカだったんでしょうね「負けられねぇ」ってストレートに行ってテーブルトップを飛び越えるほどの大ジャンプ。
着地は成功したのに軽く地面に着いたはずの右手首が見事に折れてましてね…救急病院。
その後、ハンドルを握ると手首が痛くて自転車から遠のきました…
5年くらい経ってからかな、ふと「サムズ行こう」って思いついてまた行くようになり、
ガキの頃に思ってた「いつかはキャノンデール」って事でBADBOYを買いました。
それまではMTBやBMX、あとHOTRODとか変なのばかりで初めての細いタイヤ、700Cのクロスバイク。
「BADBOYはマットブラックがアイデンティティなのに白買っちゃうぜ」「リジットなのに片持ちだぜ」って
意気揚々買ったのに納車の1週間後に「SURLYのイベントあるから参加ね」って言われる。
(そう言えば1週間後ってパターンが多いな)
もちろん初めは断ったんですよ。キャノンデールだし、たくさん漕ぎたくなかったし。
たいてい断るとすぐに通るのに、なぜかこの時だけは「いいからおいで」って言われた。
そしてオレもなぜか頑張る気になった。それが2010年です。
実はこの時が野幌森林公園へ行った最初です。なにせ誘われるたび断っていたので。。

衝撃でしたよねSURLYとの出会いは。
今はFATBIKE以外の自転車要らないってくらいになってるので、
もしかしたら店長は中途半端もののオレが大好きになれるものがFATBIKEだって判ってたのかも。

その年の冬だったかな。縁あってPugsleyを譲り受けたの。それからはFATBIKEですよ。
2度目のSURLY JAPANツアーでGMのピーターさん他SURLYクルーにサインまで貰って宝物になったPugsleyを大事にする為に2台目のFATBIKEを買おうと思ったんです。
増車するんだから、Pugsleyよりも優れた部分のある車種にしたい。
でも、やっぱり30万の自転車って高いしどうしようかなぁって躊躇している間に、
狙っていたSALSAのFATBIKEは在庫なくなりました…
しかも、次期はフレームが製造出来なくて海外じゃプレミアになっていて手に入らない。
諦めました。ある意味「買わないで済んだな」とか思っていたのに縁っておそろしいですよね。
出てきた。買った。

店長も買っていたんです。‘13BEARGREASE。(以下:熊脂)
で、オレひとつだけ気に入らない点があったんです。
なのでそこは「最後のFATBIKE」だってつもりでリム交換する事に。
ついでなのでリアは65mm幅にして軽快さを出すとか考えていたのを店長も考えてて、
パーツも買った翌日会ったら前は違ったはずなのに同じのに変わってたりと、
オレが真似したみたいに思われるんじゃないかって程 似てる車両になってました
(その後も店長の熊はコロコロ仕様が変わるので、今は結構違う)
そう言えばステムはオレがラージマージリムを上げた代わりに貰ったんですよね。
店長が使ってたのに在庫納入に時間かかるからって。
今のオレのFATBIKE2台はどちらも店長が組んでくれたホイールです。大事にします。
========

何を書いてたんだっけ?店長の葬儀の模様だったっけ?思い出だっけ?
飛び飛びで本来の目的もわからなくなりましたが、葬儀の方は参列者の方凄かったですね。

通夜には参加できる時間的余裕がなかったのに大阪から飛んできて飛んで帰った方。
インフルエンザをおして(離れた所から一目見るだけでもと)お別れに来た方。
たくさんの業界の方。もちろんモトクロスのビックボスも。札幌の業界人も。
単なるいい加減な人だと思ってたらさらに涙腺弱い事がわかった安藤さんも。
※Twitterやinstagramでいつも好きで見させて貰ってる方々など、
いっぱい挨拶したい人も居たけど、自分も会場もそんな気になれる場じゃなかったので残念です。

凄いたくさんの参列者でした。会場には16:00には居て、席も前の方だったので葬儀が始まり読経の時に後ろでガシャガシャやってるのが気になりつつ見る訳にもいかないので「何やってるんだろう?」って思っていたのですが、ちょっとしたチャンスでパッと後ろ見てみたら凄い人の数。階段の方にも居るの。
会場は200人規模のところって聞いていたので「それじゃあ足りないんじゃない?」とか言って3-400人は来るだろうと思ってたけど、軽く700オーバー
あとから来た人に聞いたら「36号線渋滞ですごい」とか「香典返しが品切れして貰えなかった(帰りに渡す)」とか もう伝説ですよ。
翌日の告別式も凄かったですね。人数は分からなかった(300くらい?)けど、火葬場でナミさんに聞いたら新しい人だけでも100人増えてたらしいです。
告別式が普通の人の通夜レベル(の多い方)って思ったけど、今度は骨上げ。
「骨足りなくなんじゃね?」って笑い話が出るくらい。もしも今、オレの葬式やってもこれくらい来てくれるのかな?って思っちゃうくらい。
そこでも伝説ですよ。骨がデカくて骨壺に収まらないんじゃないか?ってくらい。

==またまた脱線==
ニセコのレースに連れて行ってくれた時かな?帰りに温泉に寄ったんです。混浴露天があるところ(場所は覚えていません)
真ん中に衝立があって直接女風呂が見えるんじゃないけど、奥まで行くと繋がってる。
一緒に行った女性も入ってて思春期真っただ中だったオレはタオルで股間を隠しながら悶々として入っていたところに、片手でチ〇コを掴んだ店長が登場。。衝立越しにめっちゃ話しかけてました。
==========
そんなチ〇コは片手で掴めるけど、骨壺には収まらない店長のスケールのデカさを感じながら、骨になった店長を見てまた涙するわけですが、火葬場の係の方も店長と親交のあった方だと聞くと、「やっぱすげぇな店長」と思いつつまた涙が。

===もうずっと脱線===
店に居るとそんなに凄く見えなかったんですけどね。
いつもタバコ吸うかコーヒー飲むかギター弾きはじめるか、下ネタかオヤジギャグ。
ホントはオレの見てない所でいっぱい働いて、いっぱい遊んで、いっぱいの仲間と過ごしていたんでしょうね。

そう言えば、「サムさん」って呼びますよね皆さん。最初の頃ってオレ以外にも店長って呼んでいる人が多かった気がするのですがいつからサムさんになったのかな?
ナミさんが嫁いできて店を手伝う様になってからかな?ナミさんも最初から「サムさん」だったかな?
開店からずっと「店長」と呼んでいましたけど、ある日飛び込み営業みたいな方が来て「社長さま」って呼んだのを聞いて「そうか、店長は社長なんだ」って思ったのが最初の尊敬だったかな。

シ〇ヤさんから聞きました。
「旧店舗からのお客さんは今はもう本当に少なくなって、その事自体は流行り廃りのある商売だし新しい出会いも沢山あるから少し寂しいけど気にしてないんだけど、〇田君とかあの頃子供だった奴が大人になってもずーっと来てくれていて嫁さんまで貰って、店盛上げるのになんかしてくれるのが本当に嬉しいしありがたいんだよね。」
(そんなこっ恥ずかしいことは面と向かっては言いたくない)
って店長が言ってくれていたこと。すごく嬉しいです。
シ〇ヤさんも教えてくれてありがとうございます。

色々書いたけど、書きたい事をただ書き過ぎて文脈もなにも無くなった気がします、書きたかったこと書ききれてない気もしますが、これがオレの思い出です。

明日 3月21日はサムズバイク25周年記念日。
愉しみはサムズバイクにあると思います。
Commented by デカシブ at 2016-03-22 10:33 x
いい思い出話だなあ、と思いきやなんだか身に覚えのある恥ずかしエピソードが...
しんみりしていいのか恥ずかしさに身悶えしていいのか...
あの軽トラはホンの数年前まで真狩で農作業に活躍していたとか(現在は不明)

FATBIKEで、また少しだけ新しくなったSAM'S BIKEで
更なる面白エピソードを重ねて行きたいね。
by kmbike | 2016-03-20 16:20 | 362819 | Comments(1)

「自転車は好きだけど漕ぐのはキライ」な話。


by かず.